企画展

企画展

2015年10月16日(金) 〜 2015年11月11日(水)

日本初の女性報道写真家 笹本恒子100歳展 ー生誕の地・品川での開催ー

全室

  • 終了

2015年10月16日(金)~11月11日(水)
10時~18時(金曜日は20時まで)
木曜休館 

一般500円
高校生以下・障がい者・70歳以上の方は無料

100歳を迎えた笹本恒子が長年にわたる取材で撮りためた写真を展示。
太平洋戦争へと向かう日本の姿、敗戦、戦後復興から平成に至る日本の歩みと、女性の社会的地位が定まっていない時代にカメラを通して奮闘してきた笹本恒子の軌跡を振リ返ります。

概要

品川区民芸術祭2015 O美術館企画展 日本初の女性報道写真家 笹本恒子100歳展 —生誕の地・品川での開催—

笹本恒子は、日本最初の女性報道写真家といわれ、現在も精力的に取材・執筆活動を続けています。
彼女の活動は各種メディアにも取り上げられ、報道分野はもとよりそのライフスタイルにも注目が集まっています。

1914年、東京府荏原郡大崎町大字上大崎字長者丸(現・品川区上大崎)生まれ。
画家を志していたことからアルバイトで東京日日新聞(現・毎日新聞)のカットを担当したことがきっかけで、写真協会に誘われて報道写真家となり、日独伊三国同盟の婦人祝賀会やヒトラーユーゲント来日、日米学生会議の記録など、日米開戦前夜の貴重な写真を撮影しました。
戦後フリーとなリ、安保闘争などの事件や岡本太郎(画家)、大宅壮ー(評論家)、加藤シヅエ(政治家・社会運動家)といった著名人を取材。その後、一時現場を離れますが、開催された展覧会を機に再び写真家として完全復帰し、宇野千代(小説家)や三岸節子(画家)などの明治生まれの女性の撮影をライフワークとしました。

本展覧会では、昨年100歳を迎えた笹本恒子が長年にわたる取材で撮りためた写真を展示。太平洋戦争へと向かう日本の姿、そして敗戦、戦後復興から平成に至る日本の歩みと、女性の社会的地位が定まっていない時代にカメラを通して奮闘してきた笹本恒子の軌跡を振リ返ります。

<生誕の池・品川での開催に寄せて>
私は百年前に、品川区で生まれました。品川区と云っても、ずっと端の方、目黒駅から、恵比寿ヘの道、無人踏切の傍らです。現在でも其処は踏切番が不在です。当時其処は夜になると狸がたくさん出てきて、多分汽車の落していった油をなめに来るのだと祖母が申しました。そして朝になると狸の死骸が二、三転がっていることがあったそうです。その家は私が三歳ごろ目黒三田地区に移築しました。

私の家の墓地は品川区なので目黒に越してからも度々お墓参りに大崎に来ました。お寺は百段の坂を上ったところの妙光寺です。昔は先祖の法事がある度に、笹巻のお寿司や有名店の和菓子のお土産が出ました。お寺に行く道には町工場が多く油の臭いでいっばいでした。それが今では大きな会社や工場が立ち並ぶ、見違えるほどの町になりました。現在ではお墓参りの帰りにどこで食事をしようかと考えるのも楽しみです。そしてこんな大きな美術館までできたとは驚きです。その美術館で100年の展覧会をしていただけるということはたいへん光栄でございます。ありがどうございます。

作家紹介

笹本恒子
1914年 品川区生まれ。
1940年 財団法人写真協会に入り、日本初の女性報道写真家となる。
1941年 退職するまで、国内の報道写真を撮影。
1945年 千葉新聞社入社、 1946年の婦人民主新聞嘱託を経て、1947年にフリーとなり新聞、雑誌等に写真、記事を提供。
1950年 現在の公益社団法人日本写真家協会の創立会員となる。同年に「生きたニュールック写真展」を日本橋丸善で開催。その後国内で起きた出来事や事件を撮り雑誌に掲載。
1985年 活動を一時停止していたが、ドイフォトプラザ渋谷で開催した写真展「昭和史を彩った人たち」をきっかけに活動再開。明治生まれの女性たちを撮影したほか、現在に至るまで取材・執筆活動を続けている。
日本写真家協会名誉会員

主な受賞歴
1996年度東京女性財団賞(1997年、財団法人東京女性財団)
第16回ダイヤモンドレディ賞(2001年、社団法人東京ファッション協会)
第45回吉川英治文化賞(2011年、財団法人吉川英治国民文化振興会)
日本写真協会功労賞 (2011年、公益社団法人日本写真協会)
第43回ベストドレッサー賞特別賞(2014年、社団法人日本メンズファッション協会)

会場風景

共催・後援・協賛・協力

共催 品川区、東京新聞、共同通信社
後援 公益財団法人日本写真協会、公益社団法人日本写真家協会
協賛 キャノンマーケティングジャパン株式会社
協力 M&M Color

チラシなど

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