企画展

企画展

1990年4月28日(土) 〜 1990年5月30日(水)

三上誠展 —自己凝視から「宇宙」へ—

全室

  • 終了

1990年4月28日(土)~5月30日(水)
会期中一部展示替えあり
前期 4月28日(土)~5月9日(水)
後期 5月11日~30日(水)
10時~18時30分 木曜休館 

一般500(400)円
高・大生300(200)円
小・中生100円(50)円 ※( )内は20名以上の団体料金

三上誠の東京での初めての本格的な回顧展。デッサン、オブジェ等の未公開作品も含め幅広くその代表作120余点を展示。  

概要

戦後日本画の革新者であり、その指針を今も現代になげかけている三上誠(1919-1972)の、東京での初めての本格的な回顧展。  

三上誠は福井市で幼少年期をすごし、1944年には、京都市立絵画専門学校日本画科を卒業。敗戦直後、若手日本画家とともにパンリアル美術協会を創立し、1949年にその第1回展を開催しました。同協会は、日本画画壇の因習的な体質に抵抗し、社会性を重視して、日本画の膠彩芸術としての根底的な反省と表現の可能性の拡張をめざしましたが、三上は同協会の中心的作家として活躍しました。  

しかし、若い頃より肺結核を患い、1952年の大手術の後には、療養のため福井に帰郷を余儀なくされ、以後、同地で常に死をみつめながら孤独の制作に入ってゆきます。  

在学中より抜群の描写力をみせていた三上ですが、その緊張度の高い作品は、戦後、キュビスム・シュルレアリスム等の影響を受けながら、「F市曼茶羅」のように、外部社会の、そして自己の混乱と希望をふたつながらに表現しようとしたものでありました。自らの内面的・肉体的傷痕を背景に、有機的な形象が空間に鋭利に突き出し絡み合う画面は、深い心象的光景として凝固しています。

また、1959年頃より、石膏に繩を貼り付けたり、鳥の子紙の皺を効果的に使用したフロッタージュ風の作品等の様々の技法を試みました。その後、自身の灸・針治療に発想し、円を基本パターンにした人体像を中心に「灸点曼茶羅」等の独自の宇宙観を描くようになります。さらに1969年頃からは、幾何学的形態のなかに、突然に幻影のごとく女体が覗く不可思議な心理劇のような画面となり新たな展開をみせましたが、1972年、肺結核を再発し52歳をもってその生涯を閉じました。  

三上は、このような多彩な表現をみせながら、一貫して日本画のメディアの再生をこころざし、不断の自己凝視を続け、個人的な想念から出発しつつも、はるかに宇宙論的時空の次元にまで昇華した作品を制作しました。本展はデッサン、オブジェ等の未公開作品も含め幅広くその代表作120余点を展示することで、その全貌に改めて迫ろうとするものです。  

戦後の美術史上、注目すべき運動体であったパンリアル美術協会に関して当館では、すでに「下村良之介展」「大野俶嵩展」を開催してきましたが、本展はこれまでの展観とあわせ、現代における日本画の行方をあらためて問う契機となるとともに、三上の時代における再評価を促そうとする試みです。

関連企画

■対談 
日時 1990年5月13日(日)14時~16時
会場 大崎ニューシティ内別会場
出演 嶋田正・木村重信

チラシなど

チラシダウンロード

PAGE TOP